リタイア民と一般社会人では話が合わなくなるのか?
人はいずれリタイアします。
リタイアする年齢が異なるだけで、どのような人生を歩んでも高齢になればリタイアするのです。
リタイア民になると一般社会人と比べて核となるコミュニティがありません。
順調に生きていると子供の頃は学校、卒業して就職すれば職場というコミュニティに所属する事になります。
FIRE民にしろ一般社会人にしろリタイアして初めて核となる大きなコミュニティがない人生を歩むことになります。
そうなるとリタイア民と一般社会人ではズレが生じてくるのだろうか?
リタイア民と一般社会人では話が合わなくなるのか?
今回は実際どうなっていくのか綴っていきたいと思います。
職場の所属の有無はどれだけ会話に影響するか
私は去年、リタイア前の同じ業界の社会人と飲みに行きました。
辞めてから1~2年程度だと大きく仕事のやり方が変わっていることはないので何に悩み、どうすべきかという事は自分なりに意見を言うことが出来ます。
リタイアしてから月日が経っていないからかもしれませんが、FIRE民になってもフルタイム労働による負荷は身に染みて分かっているのであまり価値観のズレは感じませんでした。
会話は出来ますが、「前職の仕事について」という話題は私にとって話したい順位が相当低いので徐々にあまり興味がないテーマになりつつあります。
事業環境の状況が一変しても私は全く生活に影響しない立場だから、仕方がないことかもしれません。
お互い話したい事が一致しないと楽しくはない
会話というのはお互い話したい事が一致しない限り、お互い楽しめるものではありません。
趣味に関しても飲み会で登山好きな人がずっと登山の話ばかりしても、登山に興味がない私は面白くありませんし、逆に私が海外旅行の話ばかりしても、海外旅行に興味がない人なら面白くないと感じるでしょう。
経験がなくても興味があれば、ある程度楽しめるかもしれませんが全然興味がなければ相手が話したい事を聞いてあげているだけです。
「最近休日は何しているの?」と振って登山の話が少し出るのは構いませんが、長々と話されても私は面白くないという感じです。
会話において共通のテーマがない集まりは皆満足せず解散なんてあります。
同じカテゴリーでも意外と話が合う人は少ない
同じカテゴリーだとしても話が合う人というのは意外と少ないです。
例えば投資という分野にしてもテクニカル派、ファンダ派、インデックス派では必要な知識や経験が全く異なります。
投資という分野でも稼ぐプロセスが違うとお互い話したいテーマが異なってきます。
野球やサッカーなどスポーツにしても評論家並みに詳しかったり、観戦にも頻繁に行ったり、自分自身もプレーするなど本当にそのスポーツが好きなコアファンと娯楽イベントとして楽しみたいだけのにわかファンでは熱量が違うため、相性は良くありません。
趣味が同じでも熱量が近くないと雑談の1つ程度なら出来ますが、共通する話とはなりません。
知識量が違ってもメンターとメンティーの関係になれば良いですが、基本的には人に無償で一方的に与え続けるという関係は難しいです。
これが成り立つのはメンターになる人が教える事を通じて、共通の話が出来る仲間が欲しいと思ってくれないといけません。
おわりに
リタイア民になっても社会経験さえあれば話自体は合わせられると思いますが、自分の生活に直結している人と全く関係ない人では会話の優先順位が全く異なるため、リタイア民にとってはそんなに興味がある話ではなくなってきます。
仕事とか趣味とか抜きにしても会話して楽しめる相性が良い人だけは残るかもしれませんが基本的にはコミュニティやライフスタイルが変われば、付き合う人が変わるのは仕方がない事だと思います。